☆「感覚」を大事に
人が何かの運動を学ぶ時、その運動をどのように行っているか意識することもあれば、全く意識しないこともあります。
子供が何かを習得する時、何かを意識して練習していることはあまり多くなく、無意識に、やっていくうちにできるようになっていたというのがよく見られるでしょう。
また、子供だけでなく一流アスリートでさえも、巧みな技術を行う際に必ず何かを意識しているかと言うとそうでもないようです。自分の動きのコツ、運動感覚なんか分からない、言葉にできないケースはザラにあると言えます。
しかし、自分の運動の何かを意識することができる、感覚として表現できることは、その選手の成長、もしくは指導者としての成長に必ず繋がります。
その理由の一つは、技術トレーニングでの課題が明確にしやすくなるということです。
練習時に何も考えずにただ言われたメニューをこなしているだけでは、上手くいった原因や、上手くいかなかった原因を探ることができません。
「今のは上手くいかなかったけど、何でだろう?」
ここで第一に考える材料になるのが、その時の「運動した感覚」です。
「上手くいかなかった時の感覚はどうだったか」という記憶が無ければ、「じゃあ次はどういう意識を持ったら良いか」という発想には辿り着きません。
また、その日の調子が悪く、動作にエラーが出た時の対処の上手さにも、この「運動した感覚」は大いに役立ちます。
自分の動きがおかしいと気付くことができ、なぜおかしいのか、どうすれば良くなるのかを考える際には「運動した感覚」を頼りにする必要が出てきます。
このような技術課題の発見能力、修正能力を高めていくためには「運動の感覚」に注意を向けて日々トレーニングに取り組むべきだと言えるでしょう。
指導者から言われたことを何も考えずにやっているだけの選手は、このような能力に乏しい場合が多いです。
指導者がいなくなり、自分一人になってしまうと、途端にどうしていいかわからなくなってしまいます。
☆「感覚」を大事にしない名指導者はいない
指導者として選手を指導する際にも「運動の感覚」は非常に有用です。
指導者が選手時代に経験した「上手くいった時の感覚」や「選手を指導する中で見出した感覚」は、選手を指導する土台となります。
しかし、選手時代に得た自分の感覚が、指導している選手にとっては全く効果的ではない場合があることには注意が必要です。
効果的どころではなく、有害となり得る事さえあります。
その理由はいったい何なのでしょうか?
自分の感覚と自分の実際の動作には少なからず誤差が生じているはずです。
それと同じように、他人の感覚と他人の実際の動作にもズレはあります。
これらのことから、自分の感覚で他人の実際の動作を指導する場合、お互いの感覚や動作のズレはさらに大きなものになり得るのです。
このことを知った上で、指導者は選手の指導に当たらなければなりません。
また、「感覚」というのは十人十色で、数値化することができないために、スポーツ科学の実験対象になりやすいとは言えません。
しかし、運動という行為やその指導、上達の過程において「感覚」は無くてはならないものです。
そのため運動指導者として、この「感覚」の重要性と注意点について深く理解しておくことは非常に大切なことであると言えます。